株式投資

株式・先物の偉大なトレーダーに学ぶ(リチャード・デニス、モンロー・トラウト、ジョン・ヘンリー)

株式・先物でデイトレード・スイングトレードをしようと思ったとき、どうすれば最短で成功するでしょうか?

一番最短は「すでに成功している人から学ぶ」ということです。

今回は株式・先物でデイトレード・スイングトレードで成功している偉大なトレーダー3名をご紹介します。

  1. リチャード・デニス
  2. モンロー・トラウト
  3. ジョン・ヘンリー

リチャード・デニス(Richard Dennis)トレンドフォロー型トレードの巨人

最初にご紹介するのは「リチャード・デニス(Richard Dennis)」です。
タートルズというトレーダー養成所の設立者として有名です。

リチャード・デニスのトレーダーとしてのスタート

リチャード・デニスのトレーダーとしての始まりは、10代のときでした。

シカゴの取引所に近いところで生まれ育ち、ピザ宅配のバイトでためた400ドルを元手に、始めました。1968年、1969年、もちろん、彼は、未成年であったため、父親にシグナルを送るという手段で、トレードをしていました。

そのように、熱心に行っていたにもかかわらず、いつも損をしていて、数千ドルくらいの損を出していたらしいです。

1970年、夏だけトレードする計画で、ニューオーリンズのチューレーン大学の大学院に行きました。

リチャード・デニスがした手痛い失敗

ただ、3ヶ月で3000ドルという利益があまりに印象的であったため、つまりは、私たち同様、市場に魅せられたため、1週間くらいしかもたず、シカゴに戻ってしまったのです。そのころ、特にやられた日があり、いきなり彼の3000ドルの手持ち資金のうち、300ドルもやられてしまいました

その大きな損失から不安定な精神状態になってしまい、ポジションを何度もひっくりかえし、引けまでに手持ち資金の3分の1にあたる、1000ドルをふっ飛ばしてしまいました。

トレーダーであれば、誰しも同じような経験があるのではないでしょうか。

大きな損失は精神的にひどく負担がかかり、動揺します。パニックになってしまうわけです。

デニス曰く、「不安定になるほどの損失が出た場合、フロアを離れ、家に帰って昼寝するなり何なりして、次のトレードの決断をするまで、少し時間をあけるということを学んだ」

つまりは、精神的に負担がかかって不安定な状態になったら、「頭を冷やせ」ということです。

リチャード・デニスの成功への過程

その後、様々なことを学んだ後、1973年、ミッド・アメリカ取引所の大豆相場において、非常に大きく稼ぎ、シカゴ商品取引所へ行き、稼いでいくことになります。

そして、1984年高校時代からの友人、ウィリアム・エックハート(William Eckhardt)と、「成功するトレーダーに、訓練でなれるのか、才能が必要なのか」という議論から、伝説的なトレーダー養成プログラム「タートルズ」を開始。

彼は、はじめの400ドルを2億ドル近くにしてしまっていました。

しかし1988年、彼は、何百万ドルもの損失を彼と彼の顧客の口座で出し、ファンドの運用を休止してしまいます。だが再び1994年、彼はメカニカルなコンピューターによるトレードシステムとともに帰ってきました。

1995年、108%、1996年に112%の利益を上げ、1996年、”Futures and Options World Magazine”における、トップ10ファンドマネジャーランキングで第4位を獲得した。だが、2000年秋、ドローダウンを経験した後、顧客のための運用を止めました。

彼の全体のパフォーマンスとして、年間複利リターン26.9%(手数料控除済み)を上げたことになります。

リチャード・デニスのトレード手法について

彼のトレード手法は、トレンドフォローです。
トレンドフォローは、とても力強いアプローチです。

なぜなら、大きな流れというものは、いつの時代も発生するからです。
バブル、その後に起こる崩壊、の一連のプロセスも、トレンドを伴うものです。

「買おう」という人が、集まれば、上昇し、その上昇につられてまた、「買おう」という人が集まります。そうして、トレンドは起きていきます。

であるから、トレンドフォローは様々なかたちで、(そのかたちによって効果は薄れるかもしれないですが)力を持ち続ける、強力なコンセプトです。

リチャード・デニスのトレード手法を詳しく学ぶには

リチャード・デニスのトレード手法を詳しく学ぶには次の2冊が有効です。

モンロー・トラウト(Monroe Trout)パターン認識トレーダーの雄

次の偉大なトレーダーはモンロー・トラウト(Monroe Trout)です。
モンロー・トラウト(Monroe Trout)はパターン認識トレード手法を使う人です。

モンロー・トラウトのトレーダーとしてのスタート

モンロー・トラウトがトレードと出会ったのは、17歳のときでした。

故郷のコネチカット州のニューカナンという町で、ビラー・ケリーという先物トレーダーのオフィスで価格データ入力の仕事をしたときでした。その後、ハーバード大学に進み、株式指数先物についての卒業論文を書き、1984年に卒業。

モンロー・トラウトのトレーダーとしての成功の過程

大学院には、トレードがしたいという理由から進まず、ビクター・ニーダーホッファーが社長をする、NCZコモディティ社で働くことになります。それから2年後の1986年、トラウトは独立することになります。

その後のトラウトのリターンは、1989年に65%、1990年に47%、1991年に9%、1992年に21.5%、1993年に16%、1994年に21.6%で、これらのとんでもないリターンを数億ドル規模の資金で達成しています。

トラウトの手数料収入は1994年だけで少なくとも3100万ドルにも上ります。

これほどまでに素晴らしい、スーパースターのトラウトのライフスタイルは、とても質素という評判です。

シカゴのマンションを賃貸で住み、父親からもらった古いオールズモビル(アメリカの国産車)に乗っているそう(1994年時点)。

2002年、トラウトは、運用会社であるTTMC(Trout Trading Management Company)をTCM(Tewksbury Capital Management)という名前に変更し、4月にトゥークスベリー氏に業務を全て譲渡し、引退しました。

トラウトのトレード手法、方法論

トラウトの開発したモデルの通常トレード期間は、1日から1週間くらいだそうです。
これは、デイトレードからスイングトレードということを意味しています。

そして、そのモデルは、統計値をベースにしているということです。

例として、時代遅れになったパターンを挙げています。

「2日前の価格動向と同じ方向にポジションを取る」

月曜にマーケットが上昇したら、水曜に買いに走るということです。

トラウトの考え方は、大変参考になります。

トラウトは「パターンは意味をなさなくてはならない」と言っています。

40日前の英ポンドの価格変動が、今日のS&Pの価格を予測する上で統計的に重要である、というのであれば、信用に足らない、つまり意味をなしていない可能性がかなり高い、ということです。

ただ、トラウトは純粋なシステムトレーダーではありません。

もし、盲目的に使ったとしたら、収益は半減するかもしれない、とまで言っています。

つまり、トラウトの驚異的なパフォーマンスには、トラウト自身のテクニック、経験、才能が大いに影響している、ということです。

システムトレードと自身の相場観の融合、それを上手くできれば、低リスクで高収益という、驚異のパフォーマンスを実現できるのかもしれません。

モンロー・トラウトのトレード手法を詳しく学ぶには

ジョン・ヘンリー(John W. Henry)ボストン・レッドソックスのオーナーになった男

最後にご紹介する偉大なトレーダーはジョン・ヘンリー(John W. Henry)です。
ボストン・レッドソックスのオーナーになった人です。

ジョン・ヘンリーは、30億ドルもの運用資産を動かしており、ストラテジック・アロケーション・プログラムでは11.0%、フィナンシャル・アンド・メタル・ポートフォリオでは、26.67%ものリターンを実現しています。

ジョン・ヘンリーのトレーダーとしてのスタート

ジョン・ヘンリーは、イリノイ州クインシーの裕福な農家に生まれました。また、9歳のとき初めてメジャーリーグの試合を観戦し、そのとりこになりました。ヘンリーは、知性は並だが、数字に関しては、才能があり、打率や防御率を頭の中で計算していたといいます。

彼は、ビクター・バレー・ジュニアカレッジ、UCLAなど4つの大学に出席し、主に哲学を学んでいたが、なんと大学の学位は取っていません。

転機となったのは、父親が死んだときでした。
彼は、農場を継ぎ、独学でヘッジの技術を学び、穀物の投機を始めました。

ヘンリーの初めてのトレードは、大豆の価格が上昇しているときでした。

彼は、「大豆の先物をヘッジのために売れ」とアドバイスされましたが、自分の本能に従い、先物を買いに走ったのです。

そして、後に彼は「純粋な幸運だった」と言いましたが、75000ドルの利益を上げたのです。

その後、1980年にトレーディングシステムを作り上げ、1981年までに、ジョン・ヘンリーは、ジョン・W・ヘンリー・アンド・カンパニーを設立し、フルタイムのマネーマネジャーとなり、6つのトレーディングシステムを用い、通貨から穀物までトレードしていました。

ジョン・ヘンリーのトレード手法、方法論

彼のトレード法を簡潔に言えば、長期トレンドフォロワーです。

1つのポジションを数日どころか数ヶ月も保有。
1年以上保有することも、珍しくないそうです。

また彼は、自分の利点は忍耐力である、といいます。

たった30から40%の勝率であるそうですが、相当の収益率を上げていることからも、忍耐力のあることがうかがわれます。

また、全成績のほとんどの部分をたった数回のトレードでもたらされているそうです。

加えて、損失のポジションは、数週間以内に手仕舞われるそうです。

まず、ヘンリーは、「未来の価格を予測できないのは、自分だけだとは思っていない。どんなことでも一貫して予測できる人間などいない。特に投資家には。未来を予測するのは、投資家ではなく、価格だ。それにもかかわらず、投資家たちは自分か、他の誰かが未来を予測できると信じていたり、そう願ったりしている」と言ってます。

つまり、予測は不可能だと言っているのです。

それだけではありません。

ヘンリーは、予測で利益を得ているのではない、ということを意味しています。

予測を活用している人も、いない人も、30億ドルもの巨額の資金を運用し、メジャーリーグのチームのオーナーにまでなった人物の意見は、参考になると思います。

「ほとんどの人は、やるべきことをやれる自制心を持ち合わせていない。」

これは、つまりは忍耐力です。

含み益がふくらんでいっているとき、利益が減るのを恐れてすぐ手仕舞いたくなります。
それを我慢しなければ、数少ない勝ち数で利益を上げるのは、非常に困難になります。

「トレードの回数が少ないほど儲かる」

これには、異論もあるでしょうが、コストの削減などの面から見て、参考になる意見だと思います。

「我々は、トレンドを表している価格動向に参加する、ということに、本来のリターンは存在すると信じているし、また、ボラタイルで不確定な金融および金融でないマーケットから生じる超過リターンも求めている」

これは、つまりトレンドフォローを示しています。

市場に大きなトレンドがあるときに大きなリターンを得ようとして、短期的なボラティリティを無視しているわけです。

「グローバル分散化」

70を超える市場に参加し、広く分散化することで、リスクを低下させているそうです。

この哲学は、非常に参考になります。

70は不可能にしても、いくつかのマーケットに分散させることは、有効でしょう。

その手法が有効である限り、ある市場で不利でも、他の市場では有利となったりするわけです。
もちろん、全てで不利、ということもあるが、手法が有効である限り、最終的には良い結果が待っているわけです。

ジョン・ヘンリーのトレード手法を詳しく学ぶには

ABOUT ME
竹内 正浩
でんホーム株式会社 取締役。九州大学経済学部卒。注文住宅の建築、お家の外構工事をしています。はじめて注文住宅を建てる人のための情報メディア「DENHOME」編集長。